三男である私は、田舎の高校を出て東京の大学に入った。
しかし、私の大学生活は
孤独の四年間だった。
まず、友人ができなかった。
話しかけることもできない。ただ昼間大学に行って、二〜三の講義を受けて薄暗いアパートに帰ってくる。
そんな生活が続いた。そのうち学校にも行かなくなった。
私が自分自身の事を異常なのかも知れないと感じ始めたのはいつの事だったろうか。
ともあれ私はだんだん社会から離れていった。何か目に見えない大きな力が私の体をとりまき、口や手足を縛っていった。
それからの生活というものは、
昼夜反対となった。一番の楽しみは寝ていることだった。起きたくない、何もしたくない。外に出て
他人と顔を合わせることがいやだった。他人は私を見て詮索していると確信していた。玄関を出ると異常な緊張が張りつめ、言葉も
少なくどもるようになり、電話もかけられなくなった。
ある日、靴を買うために靴屋に入った。店員が優しく話しかけてきた。私は緊張してしまい、突然外に飛び出した。情けなかった。
人は気のせいだとか言った。病院へ行ってもそんな診断だったろう。
病名はなく、確実に私の行動範囲はせまくなっていった。
なぜ・・・自分に
悪霊がついているなら離れてくれと、虚空に拳を突き上げた夜もあった。金縛りにもかかるようになった。
しかし、結論は出ず、理由もなく気分が落ち込むことが1日に何回も起こるようになった。もうまわりのこととか、将来のこととか
楽しいことなどを考えたりすることもできなくなっていた。
あのまま進んでいたらならば、私はきっと大学を退学し、田舎へ帰り、仕事もできず、人知れずその後の時を過ごしただろう。
年老いた両親の心配する視線に反抗しながら、婚期をとうに逃した長兄と実家に居候していたに違いない。
長兄も当時、
精神異常をきたし、人に見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりすると言って、家の中で暴力をふるっていた。そんな家族
であったから、無理心中や自殺や放火が起きてもおかしくない状況だった。これらを思うと本当にありがたいことだと思う。
私と長兄はあれからとある
不思議な所のお世話を受けることとなった。
私は従来「この世に神などいない!」と確信してきた。しかし、当時の私たちは、そんな主張をするほどの気力もなく、心の底から
助けてもらいたいとその門をくぐった。
ここは変わっていた。他人である方々が私のことを本当の身内のように優しく接してくれて、私のことを必死になって、その
天の親にお願いをしてくれた。この世に損得抜きで
「人を助けたい」と願ってくれる人々が存在していることに私は感動した。
それから色々教えてもらった。
人間がなぜ生まれてきたか、なぜ苦しむのか、天地の理法のこと、
天の親のこと、人間の生まれ変わりのこと、
そして、前の世で私が蒔いてきた種のこと・・・。
人も家も徳分というものがある。徳がないのは分かるがどのようにしてその徳を
失ってきたか、前の世のあらましをゆかりの霊様の口からきかせて頂いた。私の心は
不思議な天の親のお力添えによって開き始めて
いった。兄も同様だった。
それから十五年がたった。ある日私は当番で詰めた。ご夫婦の方が相談にお見えになっているという。
私が対応させていただく事になった。
その次男の病気のことでご相談にお見えになれれていた。
お話を聞いて驚いた。ご夫婦は次男の方の症状は
十五年前の私と同じ
だった。その頃のことが急に私の脳裏に復活した。私は思わず泣いた。
涙が止まらないのだ。ご夫婦は私を見てびっくりしていた。
しばらく私
はただ泣いていた。
考えてみると十五年で私は完全に治っていたのだ。