南無甘露台に包まれた不思議

 

  南無甘露台に包まれた不思議

 
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  素直にありのままのじぶんで    中沢政之


 素直にありのままのじぶんで
 
                        中沢政之(仮名)


道にご縁を頂くまでの私は、自分なりに人一倍仕事をし、それなりの名誉収入をつかもうと努力して来たつもりでした。

今から四年前に、知人の紹介からこの道にご縁を頂きました。
当初の私の動機は自分の仕事に対する向上心から、更に世の中の定規という教えを 身に付け、もっと仕事に対して成功への近道を知りたいというものでした。

実際道につながってからの四年間は、人間の力だけでは出来ない事が存在する事を知り、その足らない所を足して頂く事によって、目まぐるしい 勢いで事情が進み、気が付けば本来の自分からは考えられない立場と仕事ができるよになるまでして頂く事ができました。


しかし、天の親が私に本当に教えたかった事はそんな事ではない事に最近気が付かせてもらいました。

「心に着物を着せ、そしてその上に鎧をはおり、そして更にその上に・・・」心に幾重もの着物を着せて、本当の自分を無理に隠し、こうでなけれ ばならないというものでは、その身がもたないという天の親のお諭しを頂きました。

心を裸にするという事、それは自分でさえも裸の自分が分からず、すでに記憶からも完全に無くなっていた元の自分というものがあったのです。


私は本来非常に臆病で気が小さく、自分1人では何も出来ない様な小心者であったという事です。何時頃からかは覚えていませんが、こんな自分 が嫌で、又周りからもそう見られる事が嫌だという考えが強くなり、常に自分は「こうすべきだ」「こうしなくてはならない」という意識が働き、自分を装っていました

そして気付いた時には、無意識の中でそれが自然に出来る自分になり、表面的な人格はいつしか変わってしまった様に思います。

しかし、それは 見抜き見通しの天の親から見れば、真の心(本当の自分)というものは全く変わっておらず、その心に幾重の衣を着せているだけとの事でした。

そしてそれは自分自身全く見覚えのない事でしたが、知らず知らずの内に無理が重なり、その蓄積によって体をこわすというものでした。

この真の自分の姿に気付かせて頂いた時、今迄の私は常に苦しい無理のある状態に自らを追い込み、それが少しづつ体をこわしていた事が 分かりました。

そうなってはどんなに努力しても、全ては水の泡となってしまうという事です。素直にありのままの自分で、楽な気持ちで今迄以上に 幸せな生活が出来る方法があった。

それは我を捨て、天の親にお力添えを頂くという低い心を持つことであるという事でした。今迄もその言葉は 知っていましたが、本当の意味は分かっていなかったのです。


これ迄の私は、地位、収入、名誉のためにはどんな努力も惜しまず、己の力で無理でも押し通す様な事をして来ましたが、本当の幸せとは楽な 気持ちで常に笑顔の絶えない家族を築き、笑顔の絶えない人生を送る事だと考えが変わってきました。

今お道を通らせて頂き、天の親にお連れ通って頂ける事に本当に
良かったと思える今日この頃であります。



 
 


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