南無甘露台に包まれた不思議

 

  南無甘露台に包まれた不思議

 
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  精神病院しか待っていなかった人生    白井秀之


  精神病院しか待っていなかった人生
                        白井秀之


ああ、とうとう、俺は、こんな所へ落ちてきてしまったか。
もう俺の人生もダメなのか。

これは、私が頭を病んで精神病院に入院させられてしまった時、
精神的に少し落ち着いてきた頃に思った事です。

何をやっても自分の力ではうまくゆかず、それを自分以外の物や人のせいにしていた自分の姿です。それでもまだ自分の人生を追い求め、いつ出られるか分からない病棟の中で、ここを出たらああしよう、こうしようと、外の世界に想いをめぐらしながら過ごしていました。

そういう時に母がこの教会をたずねてくれて、自分の外泊の時に「なむかんろだい」という言葉を母から教えてもらい、「つらい時に心の中でも良いからそう言うんだよ」と教えられ、そうしてきました。


そして退院後、私は宗教などきらいな方でしたが、そこの教会に行ってみようと思い、不安な気持ちと闘いながら連れて行ってもらいました。

そこで皆さんに色々取り次ぎを頂いたのでしょうけど、この頃の自分は、自分の主張ばかり通そうとして、通らなければ人が悪いと人のせいにしていた私ですから、一つも覚えていません。

ただ一点だけ、その所長さんが私の帰りがけに外に出てきて、
天に親がいる事だけ、今日はそれだけ覚えて帰って下さい」と言われた事が今でも心に残っています。

それから私は、毎回運ばせて頂き、素直でない自分を教えてもらい、自分の心使いによって病が出てくることも教えてもらい、人に取り次いでもらった事は出来るだけ素直に聞き入れようとしてきました。

とにかく私は前の様な生活はもうしたくない。助かりたい!。
これが正直な気持ちです。

そんな中で私が分からせてもらった事は、前に自分は親に入院させられたと思っていました。そうとしかとれない自分でした。

しかし、ここ(教会)で教えて頂いているうちに 「いや、そうじゃないんだ」精神病院にまで入れなければならない親の心の苦しみ、悲しみを考えられるようになりました。

こんな私ですが、その後結婚させてもらい、入院生活しか待っていなかった人生が今では仕事も頂いて、前とは180度違った人生を結構に通らせてもらっています。

こういう所を出来るだけ多くの皆さんに知って頂きたく思います。


 
 



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