南無甘露台に包まれた不思議

 

  南無甘露台に包まれた不思議

 
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借金取立ての日々 淋しい毎日 精神病院な人生 病気・別居・子供まで 心臓病で断念
 

  淋しい、本当に淋しい毎日でした    川田章子


  淋しい、本当に淋しい毎日でした
 
                        川田章子(仮名)



私はこのお道に結婚という事情でご縁を頂きました。
なかなかいい縁に恵まれず、年もだんだんと重ねていくと、
いつしか不安とあせりが出てきました。

このままで行ったらきっと私は一生独身のままで終わるかも知れない。親兄弟に迷惑かける事は出来ないし、老後の生活は自分で困る事のない様、一生懸命働いて一人でも生きてゆける様にしていこうと・・・。
そんな思いが日に日につのるばかりのむなしく淋しい毎日でした。



そんなある日、仕事が終わり、
帰宅途中で一枚のポスターが目に入りました。

この一枚のポスターこそ、私の人生を大きく変える軌道修正への切符
なったのです。

占い信じない、宗教全く無関心な私ですが、一抹の不安を抱きながらも何とかなるものだったらと思い、教会の門をくぐらせて頂きました。

その時に初めて、人間とこの世をお創りになった天の親神様という神様がいることを教えて頂きました。そして私はなぜ結婚が出来ないのか、その原因も教えて頂いたのです。

私は自分には全く記憶のない一山も二山も越えた過去の世において、嫁いだ先の年老いた姑さんを気に入らないといってはいじめたり、ぶったり粗末にしていた一代があったのです。

親があって子供がある。親から見れば子供はかけがえのないもの、苦労して育てて一人前にしてくれるのです。その大切な夫の親を、嫁の私がわがままな身勝手な心使いで泣かせていたのです。

記憶にはないとはいえ、何てむごいことをしていたんだろう。驚きと共に只々申し訳なくて涙が止まりませんでした。



「蒔けばはえるの世界」と、このお道で教えて頂いております。
人さん泣かせば必ず我が身が泣くのです。良い事、悪い事、自分で蒔いた種はみんな自分に返ってくるのです。 私はそれからも運ばせて頂いて、いろんな天の親のお話を聞かせて頂きました。

いつしか、むなしい、淋しい気持ちが無くなり、一年後には天の親から、まじめで働き者の今の主人と縁も頂き、結婚もさせて頂きました。又、二年後には子供まで授けて頂きました。

でも、この子供も平穏無事に生まれて来たわけではありません。
それまで何ともなかったのに生まれる直前になって異変が起きたのです

お腹の中で小さな心音がだんだん小さくなってゆくのです。
麻酔で意識が薄れていく中、私は人間を創造して下さった天の親
「助けて!この子助けて!南無甘露台」と何回も何十回も心の中で叫びました。

意識が戻って無事に生まれた事を聞かされ、初めて見た我が子は、主人にそっくりの女の子でした。小さな指を数えながら、天の親の鮮やかな不思議な力とお慈悲に申し訳なさと感謝で只々泣くばかりでした。



今でも思うのです。もしあのポスターがあそこになかったら、
私は今頃どうしていたのだろう。きっと今も一人むなしく、 淋しい気持ちで毎日を過ごしているだろうと。


女に生まれてきても女の幸せをつかむ事も出来ず一生終わったなって。でも天の親を知って、お道のお世話になって、結婚できないところを結婚させて頂いて、子供まで授けて頂いた。

日蓮さんやお釈迦さんではなく、天の親だからこそだなって。

拝んで、お祓いをして助かるものではないのです。
もしそれで助かるのだったらこの世に泣く人はいないでしょう。

この道は本当の助け、心の救いを頂ける所なのです。




 
 


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