南無甘露台に包まれた不思議

 

  南無甘露台に包まれた不思議

 
トップページ 私は治っていた 子供2人が腎臓病に 素直なままの自分で 消化器が弱くて
借金取立ての日々 淋しい毎日 精神病院な人生 病気・別居・子供まで 心臓病で断念
 

  前の子は5才で他界、次の子も同じ病で     村瀬裕一


  前の子は5才で他界、次の子も同じ病で
 
                        村瀬裕一(仮名)




「男の子でね、母子共に元気だよ」

里帰りした妻の田舎からの電話である。

「よかった」と胸をなで下ろす。


その週の土曜日、我が子の顔を見るために新潟の田舎へ急いだ。
妻にちょっと小さいけどよかったなと言って、その日は妻の実家に
一泊して翌日東京へ帰ることにした。

翌日、病院の妻から電話が入った。
「入浴中にチアノーゼを起こして今検査している・・・」

予約した列車の時間が迫る。東京では約束の仕事がある。
結果が出たら連絡するように妻に言って東京へ戻った。

仕事を終えた私に電話が入った。
「前の子と同じで腎臓に障害があるんだって。どうしよう・・・」
私の脳裏に三年前の出来事が走馬灯のように浮かび、
恐怖感がこみ上げてくる。

長女は腎臓組織がボロボロになってしまう難病で治療法は確立されていない。 行く先は腎不全と告知され、私は宗教に走った。

拝み祈祷宗教に50万円を払ったが、長女は遂に腎不全に陥ってしまった。 それでも藁にもすがる思いで2〜3の祈祷屋や宗教と名のつく救いの場に足を運んだが、しかし、私が手かざし宗教で道場長に手かざしを受けている時に、長女は息を引き取った。

「何のための宗教か・・・」

そんな前の子の事が脳裏にいやでも浮かぶ。

母は悲観にくれながら、

二人とも腎臓が悪いなんておかしい。何かあるに違いないからみてもらったら」と言って、ポスターで見たこの教会の名をあげた。

一方妻は、腎臓病の子供の行く末を長女の姿で見てきただけに、
極度のノイローゼに陥り、

雪の降る里で毎日泣き暮れて、北側の暗い一室で子供と一緒に
泣き暮らす母と子の姿は、私には地獄絵図のように見えた。

妻と子供と共に東京に戻り、親子三人の生活が始まった。
しかし、妻の状態は一向に良くならず、炊事、洗濯のほとんどを
私がこなし、子供にミルクもやり、さらに仕事もこなす日々が続いた。

私は疲れた

仕事を辞めなければならないところまで追いつめられ、何かに救いを求めようとしたが、長女の葬儀の席で二度と宗教には関わらないという誓いとの板挟みに苦しんだ。

しかし、私はこの道の門をたたいた。
そこで教わったことは
「この世は心通り、心以下でも心以上でもない。心通りの世の中」
といいうことだった。

そして、「先案じはいけない、先のことは人間には分からない天の親の領域である。何も考えず、ひたすら親の元に運んで天の親に力を借りて、今迄の心得違いを正すこと。そうすれば必ず道は開けてくる」と教えて頂いた。

「俺の全てがここに掛かっている」
ただそれだけで何も分からない私は真剣に運んだ。

妻は里で紹介された東京の病院へ行くのを頑なに拒んでいた。
もう二度と入院生活はしたくないというのがその理由だった。
新潟の医者には「大量のタンパクが尿に出ているので、入院して週一度くらい点滴でタンパクを補わなければならないだろう」と言われていたのである。

その妻が、ある日突然「病院に行こうかな」と言いだした。あっけにとられた私は「入院はしないよね」と迫る妻の問いに、半ば不安を抱きながら「大丈夫だよ」といった。
こわかった。現実はどうなるのか恐ろしかった。

病院の待合室でも妻の問いかけは続いた。私はお道で教えてもらった
「大丈夫です。先案じはやめなさい。天の親にもたれきるのです」という言葉を支えに妻をなだめた。

診察は終わった

医者は「また来週いらっしゃい」と言った。私と妻は顔を見合わせた。
私は「入院して点滴でタンパクを補わなくていいですか」と尋ねた。

医者は「タンパクは確かに大量に出ているけど、むくみが無いから週一度来ればいい」との答えだった。

なんと言うことだ!これが天の親の力というものなのか

それから、事情はどんどん進展していった。

妻はすっかり元気になり家事をどんどんこなすようになった。
妻が家事をやってくれるようになって、私もやめようとしていた仕事が再度出来る様になった。仕事が再開できただけでなく、「デスク」というポジションまで与えられた。

子供は週一回の通院が二週に一回となり、三週に一回となって、今では薬に切れる頃に行けば良くなった。そして一度も入院することなく幼稚園に入園し、小学校に入学し、今では二年生になろうとしている。

毎朝「行って来まーす」という子供の声が何と私に励み勇気を与えてくれることだろう。悲しみのどん底にいた妻は、今では小学校の役員を買って出て、忙しい毎日を送っている。

これが「幸せ」でなくて何であろうか。





 
 


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